- 投稿 更新
- 断捨離のススメ - ダンシャッたモノ
断捨離を進めていくと、必ず写真というテーマにぶち当たると思います。
現在ではデジタルデータがメインですので、パソコンやCDに記録すればよいですが、それ以前の媒体を持つ私たち世代、50代以上の方なら焼いた写真が膨大にあるに違いありません。
ミニマリスト的に言えば、「思い出は心の中に記録する」ということに集約されるでしょうが、いかんせん、まだその境地に至っていない蘭子。
今回は、ミニマリストを目指す私が、アルバムや写真を断捨離する際の基準について書きたいと思います。
大量の写真に見る我が家の歴史
もともと、写真好きな我が家(我が家といっても実家のことです)、父と母の白黒写真もかなりの量がアルバムとしてありました。
そして、写真好きな父は、第一子であった私を毎日のように写真に撮っていました。
私が一番好きだったのは、その写真に母がつけたキャプションです。
当時は台紙に白黒写真を糊貼りした簡単なアルバムです。
そこに母の手書きのキャプションがつけられると、その光景が浮かび上がってくるのです。
「お天気なのに、長靴の大好きな蘭子」
「今日は、靴磨きでお手伝いしています」
今でいえば、facebookの投稿につけたキャプションというところなのでしょうか。
なかなか、マメにつけられていて楽しめます。
そこに感じられるのは、親が子供に対する愛情そのものに他ありません。
気に入ったモノがないので、自分でアルバムを作って写真を整理
小さい頃の写真はたくさんあるのですが、妹が生まれたあたりから写真の枚数がぐっと減ります。
父の仕事が多忙になったことと、母が妹の世話や祖母たちの介護に手一杯になった時と重なります。
中学、高校時代の写真は、カメラ好きな友達が撮った写真をもらったりしたものがほとんど。
この頃は分厚い台紙に透明シートをかぶせるタイプのアルバムが主流ですが、この厚型のアルバムが使いにくくて、勝手にポケットファイルを利用して自家製アルバムに仕立てて写真を整理していました。
会社に入ってからは、同僚の歓送迎会、結婚式と、ことある度に写真が増えていき、それにいたってはアルバムを作る暇もなく写真そのものを箱に入れたまま放置していました。
ただ、大事な自分のイベントだけは、アルバムに貼って保管していました。
この時期、気に入っていたのは、千趣会という通販で買ったアルバムシリーズです。
毎月1冊のアルバムと整理用の箱がついていました。
このアルバムは、昔の仕様さながら、台紙のみが何枚か入っているアルバムで、自分で好きなようにレイアウトして貼ることができるので、貼る時にはかなり凝って作っていました。
ただ、アルバムのサイズが変形のA4サイズ、本棚に入れると変な隙間ができてしまって、それだけがマイナスポイントでした。
自分の写真より子供の写真が多くなった。でもこれ、もらって嬉しいかしら?
私が、今の夫と結婚したのは1996年、ちょうど20年前になります。
ようやく、インターネットが普及しはじめ、個人が名刺よりもメールアドレスを交換しはじめた頃です。
世の中がデジタル化に大きく変わり始めた頃でした。
蘭子が、ミニマリストである夫と出会った頃の話はこちら→真のミニマリストを目指す50代主婦、蘭子です。
結婚パーティの時は、まだデジタルカメラではなく普通のカメラで写真を残していました。
その後は、「写ルンです」の出番。どんどん、写真が増えていきました。
そして、劇的に写真が増えるのは、誰に聞いても子供ができてから。
実家に送る、友達に配るなど、まだまだアナログに写真を焼き増しして、精力的に!増やしていました。
子供が生まれると、父と同じくほぼ毎日写真を撮っていたように思います。
海外ですと、毎月1枚ずつ同じ場所でとか、毎日1枚ずつ撮ってスライドにするとかの素敵なアイデアをネットで見つけることができます。
今にして思うと、定点写真で撮っておいたほうが、センスよかったんじゃないか?とも思いますが、現在の息子(17歳)を思うと、その写真をもらったところで、「(母の)愛が重い!」だけなのかもしれません(笑)。
こういうアイデアって、送る人ともらう人の価値観やセンスが同じでないと成立しない事柄なのだと思います。
子供の成長は日々残しておきたいもの・・・と、誰もがカメラ片手に、子供を撮ります。
特に小学校の運動会などは、そのピークといえるでしょう。
今になって頭を冷やしてみると、なぜこんなに遠目の写真ばかりが残っているのか理解に苦しみます。
さすがに、こまめにアルバムを作るまでに至らず、こんな感じで年ごとに写真をざっくり箱に入れています。
写真をデジタルデータにしても断捨離は必要
今回、写真の整理するにあたり、いきなり写真がなくなった年がわかりました。
それは、息子が小学校1年から2年に変わる頃です。
小学校1年生の頃の写真はやたらあるのに、2年生以降はパッタリ無くなっているのです。
ちょうど、我が家で新しいデジカメを買って、すべての写真をパソコンに入れ始めたからです。
ただ、デジタルイメージって、たくさんあっても見返す事はないですね。
数年ごとに見返して、削除する方が賢明だと思います。
大鉈をふるった黒歴史時代のアルバムと写真
写真を断捨離する時の基準って、どこなのでしょう?
断捨離本で、よく見るのは、
1.どうしてもたまってしまう写真類は、「ひとつの思い出につきアルバム1ページ」といったルールを作って整理しましょう。
選ばれなかった写真は自動的に「捨て」。
また余計な背景を切って、絶対量を少なくするという方法も有効です。
2.アルバムは1冊にまとめましょう。
同じような写真は、その中でベストショットのものだけにします。
3.写真をまるごと貼るのではなく、残したいところを切って貼りましょう。
そうすると、アルバム1冊に充分収まります。
要は、スクラップブックに似ている整理法です。
4.最終的にはネガを捨てましょう。 というもの。
こういった視点は、ごもっともなのですが、それよりも「存在自体が問題」の写真についてお話しいたします。
書棚から出てきた大層なアルバム数冊・・・なんと、私の元旦那に関する写真一式でした。
親にとっても私にとっても初めての結婚ということで、たくさんの写真を綺麗に貼って残していました。
これは・・・(^◇^;) 今の夫に見せられない(^_^;)
引っ越しのたびに闇から闇へ葬っていたアルバムですが、今回こそ、きっぱり断捨離することにいたしました。
大学時代からのものなので、かなりの量がありましたが、写っている写真はすべてアルバムから剥がし、細かく切って袋詰めし、さらにガムテープで封印しました。
アルバム自体も、所々抜けているとかえって怪しいので、他の写真も剥がし、先ほどの箱に収納。
つまり、アルバムごと捨てるということです。
人に見られたくない黒歴史
前回の引っ越しの時は、小学校の息子にこの大袈裟なアルバムを見つけ出され、とっさに隠しましたが、今後何かの事故や病気になって、取り返しのつかない状態(つまり死後)で、こんなものが発見されたら、嫌なもの。
この気持ち自体、「人からどう見られるか、気になる」という自分の見栄や執着であるに他ならないと思います。
しかし、そんな余分な過去への執着や見栄そのものこそ捨てて、スッキリ生きていくのがミニマリストなのではないでしょうか。
つまり、私的、写真を断捨離する基準は、「死んだ時に見られたくないもの」 。
そして、残しておくのは、自分がこの世を去った後も、子どもや孫に見てほしい写真だけにするということ。
実は、今週いっぱいかけてゆっくり作業しようと思っていたのですが、急遽、夫が帰ってくることが分かったので1日で作業を完了させました。
夫に言わせると、「君の荷物は99%、要らないものだね」。
確かに今、ここ、自分に必要のないモノが多すぎるのです。
「はい、その通り」
残すべきものは未来へつながるモノ。 これからも黒歴史を葬るべく、断捨離を進めていきます。
さて、断捨離して写真を少なくするという方法をお伝えしてきましたが、ちょうど朗報がやってきました。
2016年11月16日に、Googleが、プリントした写真をスキャンする無料のアプリ『PhoroScan』を公開したのです。
『PhotoScan(フォトスキャン)』は、引き出しの奥に溜まっている古い写真などをスマートフォンのカメラで撮影するアプリ(無料)。
これで、断捨離して少なくなった写真を、さらにスキャンしてデジタル化すれば、ほぼ写真を残しておくことは必要ないでしょう。
蘭子流、デジタル写真の残し方
最近は、写真をとるのにみなさん、スマホで撮る方が多いと思います。
私自身は、iPhoneを使っていて、ブログにアップしたいと思う写真は、パソコンに送っています。
デジタル写真は、SNSなどですぐにシェアできますが、量が多くなってきた場合は、パソコンやCloudのアルバムに保管するようにしています。
ですが、気をつけないと、大量になりすぎて、紙のアルバム同様、探すのも見るのも億劫になってしまいます。
そこで管理しやすいように以下のことに、気をつけています。
*撮影したものは日付で管理
*できるだけ、カテゴリーまたは項目で分類しておく
*必要なくなった写真はどんどん削除
の3点です。
すでに息子は、17歳ですので自分の写真は自分で管理しています。
「見せてほしいな〜」と思うことも多々ありますが、もうすでにプライベートな部分になるので、本人の許可なしでは見ることができません。
今、何でもかんでもSNSで投稿したり、写真を共有する人が多いです。
何かのイベントがあった時に、今までなら、焼き増しして配っていた写真を、即時にFBに載せ共有できることは、それはそれで便利で楽しいことだと思います。
ですが、大量に垂れ流しになった写真には、なんの情報も入っていないことの方が多いように感じます。
重要なのは、「今、ここで、自分」がどう感じたのかを写し取ること。
そう思うと、必然的に撮る回数自体も、絞られていくように感じています。