服やモノの断捨離は、すぐにできるのに、自分が持っている情報や資格に関して捨てる(絞る)ことができる人って少ないような気がします。

 

自分の夢や目標、在りたい姿を思い描く時、あまりにもいろいろなモノを持ちすぎていると、その姿がボヤけてしまいます。

ここ数日、友人から入ってくる情報も「捨てる」とか「削ぎ落とす」という話ばっかり!

 

今日は、その「捨てる決断について、書きたいと思います。

 

まぁ、普通によく、お会いするのは、「なんでも屋さん」。

で、今、最終的に絞りきれていない(捨てきれていない)人。

 

料理サロンの免許も持っていて、アロマセラピーもできて、フラワーアレンジメントの資格も持っている。

今は、カルトナージュの資格をとっています・・・なんていう人。

私の周りに、たくさ〜んいます。

 

家族(夫と息子とペットたち)がいて、特に困るほどの経済状態でもなく、ふだんの暮らしが、そこそこできる湘南に住む50代の主婦・・・(私ではありません(−_−;)。

条件だけをいってしまうと、なんでも手に入れて、自分で生活を楽しんでいる優雅な主婦、そしてなんか資格をとって自立できるような錯覚に陥っている人。

 

でも、それって表面的なことだけで、内面的に掘り下げると、なんか絞りきれていなくて、何者にもなっていない感じ。

だから、他人の目をすごく意識して暮らしています。

 

結局、どんな自分になりたいのか?一度も想像したことがない人。

「いったい、私は何をやりたいの〜〜〜?」っていう人、多いと思います。

 

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「捨てる」勇気と「やらないことを決める」決断

 

在りたい自分になるためには、心のナビゲーションをするっていうことが必要だと思います。

例をいうと、車のナビゲーションを想像してみてください。

 

どこかに行きたい時に、ナビに「XX地方」といれてもたどりつきませんよね?

本当に行きたい場所に行くには、◯◯市△△町X丁目◯番地△号と正確な住所を入れることが必要です。

 

断捨離をする時もそれと同じで、なりたい自分を想像せずに、「この服高かったから」とか「せっかく買ったから」という理由で、残すものを決めたり、コーディネートをしようとしても、うまくいきません。

 

例えば、私の場合、一度しか履いていないポールスミスのスカートがあるのですが、私にはしっくりきていないのに、なんとか合わせようとしてしまう。

「もったいない」と思うだけで、なりたい自分のために必要な服なのか?と思うと・・・(回答不可)

 

大して似合ってないのに・・・笑。

その「もったいないから」で合わせても、素敵には見えないし、なりたい私にもならないのです。

 

それと同じで、今では笑い話ですが、数年前ネイリストの学校に通っていた時、「自分には合っていない」ってわかっていたのに、「学費がもったいないから」、「止めるとかっこ悪いから」と思って、なんとか続けようとして苦しかったのですよ(笑)。

 

老眼だし、細かい仕事だし、だいたいサービス業って向いていない・・・。

でも、始めてしまったのだから卒業したいって。 全然向いてないことを、私は知っていたのに!

結局、初級でやめましたけれど(爆)。

 

さて、在りたい自分になるためにやろうとしている「決断」とは、本当に「決めて断つ」わけで、「似合わない服着ていたら、ダメじゃん」っていう話です。

 

「あれも」「これも」抱えても魅力的にはならない。

それって、せっかく取ったからって「資格」を生かそうとするのも同じだと思います。

 

好きで楽しいならいいのですけれどね。

 

「捨てる」勇気、そして「やらないことを決める」ことも必要なのです。

あれもこれも生かしたい、いろんなファッションをしたい人にはちょっと酷なのですが、ちょっとストイックに遂行(?)した方がよいと思います。

 

インプットして、アウトプットし続けることの価値

 

ファッションや資格だけじゃなく、人間関係や情報も同じだと思います。

モノを買ったり、情報を集めたり、資格をとることとは、インプットするということです。

 

でも、インプットしたら、それだけではなくすぐアウトプットすることが必要です。

モノを一つ捨てて、新しいモノを入れる・・という順番もあり、モノを入れたから、何か一つ出すというのもありですが。

 

たとえば、どこかのセミナーに行って情報を得たら、友達に話したり、Facebookに投稿してみたり、ブログ記事をひとつ書く、くらいしてみるということ。

なぜかというと、お喋りやSNSやブログというのは、たいてい無料ですよね。

 

インプットしてアウトプットし続けると、その「無料で提供しているもの」の価値は上がっていくからです。

無料の価値が上がる→あなたの質があがる・・・・、こんな風にいうと、「別に、自分の質を上げなくなっていいし〜」と思われる方もいらっしゃると思います。

 

小難しいことをいうわけではありませんが、「どうせ私なんか」思っている人が書いた記事と、「せっかくだからこんな情報あるよ!」と気前よくシェアした記事とどっちが人を幸せにするんでしょうか?

 

「私なんかが書いている記事なんて・・・」そんな風に思わない方がよいと思います。

(少なくとも、私は、記事を書くときにアウトプッとするという気持ちで書いています。)

当たり前のことを言ってるようですが、本当に大事だと思います。

 

こうやってブログを書いているのも、シンプルで上質な暮らしのために、どういう風に毎日を過ごしたらいいか?模索しているから。

 

「何書けばいいかわからない」とか、「自分らしく書けない」とか、そんなレベルの低い話はそろそろ終わりにして、インプット→アウトプットを続ければ、「書きたいこと」や「言いたいこと」「伝えたいこと」もうまく表現できるようになると思います。

 

そして、もっと大事なことは! 続けて価値が高くなる前に、諦めてしまう・・・こういう人も多いです。

 

「捨てる情報の多さが価値を決める。」とは?

 

私は時々、自己啓発のセミナーとかに行くのですが、そこで言われた中で、頭に残っているのは、

「情報の価値というのは、その情報を得られるために今まで捨ててきた情報量によって決まる。」という言葉。

これって、私的にはすごく腑に落ちる言葉なのです。

 

どういうことかというと、同じことを言っているのに「説得力あるな〜」と感じる人と、「薄っぺらいな」と、感じる人がいますよね。

 

例えば、「世の中お金じゃない」ってビル・ゲイツが言うのと、引きこもりのニートが言うのじゃ全然違う、というような。

それって、「本人がどう在るか」が大事だと思うのですが、それが「捨ててきた情報量」なのではないかと思います。

 

表現力でもなく、説得力のある実績でもなく(もちろん関係は十分ありますが)、どれだけ捨ててきたか。

シンプルなものって最初からシンプルなんじゃなくて、削ぎ落とした中にみえるもの・・・というか。

 

だから先ほどの「どれだけインプットしてきたか」につながる。

インプットとは、本やメルマガとか、SNSとかの「活字としての情報」だけじゃないと思います。

 

街を歩いていて、空気的に気付くことも、人の話を聞いてることも何かを「感じ取る」のは全部「インプット」に入ります。

現実そのものを意識的に生きると「インプット」というか気付きだらけなのです。

だから、圧倒的に活躍してる(ビジネスとか、そういうことだけでなく)人は、日常の小さなことでも大きく気付けたりする。

 

そして、もっと大事なことは、そういう人は、インプットしたことも、選んで捨ててきている。ということ。

 

世間体や常識とされることや

過去の成功や自分の価値観。

達成感、執着、人間関係などなど。。

 

いろんなことを手放せば、どんどん楽に生活できるようになり、周りの人間関係もスムーズになってきますが、いつまでも過去にしがみついてると、自分の発するものすべてが「古くなる」。

 

いろんなことを手放して、「捨てていく」と研ぎ澄まされていくと、「言葉」が少なくても伝わるのですよね。

 

どこかのお教室で何かを学ぶ時、セミナーなどに行った時に、まさに見ている側が感じることは、すごいなーと思う人ほど、だらだら話さないしこと細かく説明しません。

 

「別に、私はそこの域になろうとなんかしていません。」

そう、思われる方もいらっしゃるかと思いますが、それがまさに「私なんて」という思い込み。

そんな「思い込み」こそ、早く捨てた方がよいと思います。

 

そこの域に達するまでは、まずはインプットしてアウトプットしていくことが大事と思います。

つまりは、意識的に生きるってことじゃないでしょうか。

 

いろんなこと、例えば講座、セミナーに手を出して何者にもなっていないとか、そしてやっぱり何も得てないから「捨てても」いない。

 

「抱えている」だけなのは、着ない服と同じ。そんな気がします!