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- 50代からのシンプルライフ
ミスタードーナツやカルビーのポテトチップス、ECCジュニアのキャラクターデザインで知られる、イラストレーターの原田治(はらだ・おさむ/70歳)さんが死去したことが10日、分かりました。
原田治さんの訃報を知り、自分の青春時代に想いを馳せ、切ない気持ちになった方はきっと私だけではないはずだと思います。
ハッと気づいて、持っていたはずのOSAMUグッズと本を探したところ、あ“〜〜〜すでに断捨離しておりました!
そんな残念な気持ちとともに、今日は、原田治さんの思い出に浸りたいと思います。
原田治さんとは?
東京都生まれ。
青山学院中等部・高等部を経て多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業後渡米し、ここでイラストレーションを学ばれました。
ここでの生活が後の作品に「アメリカナイズされたテイスト」として影響を与えることとなりました。
1970年、雑誌「アンアン」創刊号に作品を発表して活動を始め、雑誌や広告で活躍。
ポップでかわいらしいイラストで、若者を中心に人気を集めました。
1997年には「パレットクラブスクール」を設立し、後進の指導にも力を入れられていました。
著書には「ぼくの美術帖」(みすず書房)、「OSAMU GOODS(R)CATALOG」(宝島社)など多数。
特にBEDTIME STORIESは、林真理子さん、秋山道男さんはじめ著名な作家が物語を書き、それに治さんの挿絵がついた素敵な本です。
私も一頃は、まさに枕元に置いて何度も読み返したものでした。
訃報は2月10日に発表されましたが、実は既に昨年亡くなっていた様子。
オサムグッズ公式サイトには11日付でメッセージが発表されていました。
「オサムグッズのファンの皆さまへ」
日頃よりオサムグッズをご愛用くださりありがとうございます。
ファンの皆さまへご報告がございます。
オサムグッズの生みの親、原田治さんが昨年11月24日、天国へと旅立たれました。
治さんとはもうお会いすることはできませんが、オサムグッズのキャラクターたちは、いつまでも皆さまの元で活き活きと輝きを失うことはないでしょう。
どうぞこれからも変わらぬ応援をよろしくお願いいたします。
オサムグッズ スタッフ一同
原田治さん、享年70歳、あまりにも早すぎるお別れではありませんか。
数年前に安西水丸さんの訃報を聞いた時同様に、蘭子とてもショックです。
治さんといえば、OSAMUグッズ
「アンアン」はじめ平凡社(現マガジンハウス)の雑誌を起点に人気がで始め80年代に入ると、ファンシー雑貨ブームにのり、数々のOSAMUグッズが売り出されました。
80年代に女子中高校生だった人には、きっと治さんのイラストに特別な思い入れがあると思います。
80年代といえば、蘭子は就職してすぐの頃です。
蘭子の入社した会社、S社はキャラクターグッズの会社です。
競合キャラといえば、ディズニーくらいしかなかったところに現れたのがOSAMUグッズでした。
S社のアメリカンなイメージのパティ&ジミーをさらに洗練させたイメージのOSAMUデザイン。
ブロンドのポニーテールの女の子やリーゼントの男の子、犬や猫。ポップな絵と横に添えられた英文。
持ってるだけで、気分はアメリカン。
パティ&ジミーの人気が下火になっていた80年代、当時の女子中高生はみんなOSAMUグッズに走っていきました。
特に人気があったのは布バッグ(お弁当などを入れるサブバッグ)で、今はなき学生鞄と合わせて持つのが大人気でした。
当然、私がいたS社の商品企画部でも「打倒! OSAMUグッズ」として、様々なキャラクターを開発していきました。
そこで登場したのが、「PUPPY LUV(パピーラブ)」です。
まさにOSAMUグッズ的な世界を醸し出していますね(笑)。
次々のヒットを出したPUPPY LUVアイテムを開発したのは、こんな人→30年前、すでにミニマリストだったS先輩のこと
秀悦なマーケティングでファンを獲得していったOSAMU グッズ
その頃の女子中高生がOSAMU グッズに憧れた理由は、商品のクォリティの高さと、もうひとつ、「すぐに買えないこと」。
近くのサンリオショップ(ギフトゲート)に行けば、簡単に手に入るサンリオグッズとは違って、当時は原宿のキディランドか、街のファンシーショップに店長のセレクト的な感じでひっそりと置かれているくらいのOSAMU グッズは希少なイメージを持っていました。
「キディランドに行ってお買い物をする」という行為自体が、おしゃれでナウい女子高生になったような気分にさせるのです。
全国規模のサンリオグッズはどうあがいても、青山〜原宿でしか買えないOSAMU グッズのイメージ戦略に水を開けられている感じでした。
ミスドの景品でOSAMUグッズを集める
その後、OSAMUグッズは数年にわたりミスドの景品になりました。
300円買うと1枚、スクラッチがついた券がもらえて、その点数がトータル10点になると1つOSAMUグッズがもらえるのです。
1985年あたりから始まり、絵合せトランプ、元気が出るBOX、カフェオレカップ、お花見お重、お茶目箱、赤いレンゲとラーメン鉢、丸弁当、ペア小皿、茶碗&湯のみ、ハイカラ弁当、ミニバッグ、プチフレンチグラス、プチフレンチ・カフェオレボウル、ミスターチン、スポーツタオル、収納BOX、タオルマットと2002年までOSAMUデザインが続きました。
自社のライバル商品なのに、「買うんじゃないから」と、私もミスドの景品はたくさん集めていました。
断捨離を始めだした頃、ミスドでもらったOSAMUグッズのお皿、ボール・・・ラーメン丼ぶり3個などなど、随分と処分してしまいましたが、今回の訃報でちょい後悔の念が・・・。
当時は、今みたいにネットで大抵のものが簡単に手に入る時代ではなく、欲しいものを必死で探し買い求めていた時代です。
こういったモノを手に入れた時の喜びも格別なものがありました。
だから、いまだにOSAMUグッズを見るとその頃の自分の姿が浮かび、胸がキュンと切なくなるのです。
昨年は弥生美術館で誕生40周年を迎えたオサムグッズが並ぶ展覧会が開かれました。
そしてこの本が昨年12月に発売される予定で動いていたそうです。
きっと校正はほぼすんでいたのではないでしょうか。
最後まで仕事に対して、クォリティの高い意識の治さんです。
崎陽軒のひょうちゃんも、原田治さんのデザインだった!
さて、治さんについて調べていたら、まだ手放していないグッズがあることを発見しました。
崎陽軒のひょうちゃんです。
いまはデザイン変わっていますが、横浜市民であった原田治さんバージョンのデザインを持っていました。
また原田治デザインのひょうちゃん復活してほしいな〜って、本当に思っています。
亡くなる数日前まで綴られている原田治さんのブログ
オサムグッズサイトのスタッフによれば亡くなったのは、11月24日。
治さん、個人のブログでは19日が最後の記事「アメリカ地図のクッション」
好きなアメリカ文化に書かれている記事です。
こちらのブログも、ひとつひとつ味わい深く読んでいます。
70歳なんて、早すぎるお別れだと思います。
ご自分の好きなモノ、したいことを最後まで追求した原田治さん。
お名前そのものが商品となるシンプルな生き方、カッコよすぎです。
こういったクリエイターの方って、今の時代にいらっしゃるのでしょうか。
本当に、本当に残念です。
治さん、どうぞ安らかに。
青春の思い出を大切にします。