人との出会いは本当にご縁だと思うのですが、人との別れも、「その時」が来たことによって終わるご縁だと思うのです。

 

今日は、「人のご縁」について感じたことを書きます。

 

人生という「お芝居」

 

自分の人生を、お芝居に例えてみるとわかりやすいかもしれません。

何十年と付き合いがある人も何人かはいるかもしれませんが、それ以外の人たちとは

 

職場が変わる。

自分のいるコミュニティが変わる。

住まいが変わる。

子どもの学校が変わる。

 

そんなことをきっかけにつきあう人たちが変わるものです。

 

そう、自分のお芝居に登場する人物がその時々に変わっていく感じです。

 

またつき合う深さもそれぞれですね。

しょっちゅう連絡を取り合うような間柄の人もいれば、今はやりのLINEなどが得意でなく連絡は取り合わないけれど深いつきあいを好む人。

 

 

そもそも多くの人とつきあいを持たないという人もいますね。

 

そして、人との付き合いのパターンも様々。

仕事柄、人との出会いが多い人だっているはず。

 

そしてまた、出会いについては、意識が向くけれど、一方で別れについてはどうでしょう?

そもそも別れと認識すること自体、出会いと比較すれば圧倒的に少ないはず。

 

だって、別に永遠に別れたわけではなく疎遠になっただけ、と思うから。

 

けれど頭のどこかでわかっているものです。

偶然どこかで出会うことはあっても「もうこの先つきあいはないかな…」ってなんとなく感じていたり。

 

そうやって、自分の人生という劇場から人が去っていくわけですね。

お芝居の出番が終わった人

 

ところが、こちらがつきあいをやめたつもりでも、フェードアウトしたつもりでもないのに、疎遠になることありませんか?

とても仲良くしていたのに、、、なんだかあっという間に連絡が取れなくなる。

 

単純に考えれば

 

「何か嫌われるようなことを言ったのか?」

「相手が自分に興味を失ったのか?」

「ちょっと前まで、普通にしゃべっていたのに…??」

 

そうやってぱったりと、連絡が途絶える。

 

もちろん、相手が死んでるわけではなく(笑)

 

それは嫌われたとかいう話ではなく、私は実感としてこう思っているのです。

「私の人生という芝居において、もう出番が終わった人なんだと。」

 

そういえば、祖父が亡くなった時に親戚の叔母たちが集まってこんな話をしてました。

「おじいちゃんが亡くなって寂しいけれど、この先、新しい命がつながっていくものだからね」

そうこうしていると、従兄弟たちや、私を含めた親戚に子どもができて、世代が変わっていったのです。

 

人との出会いや別れもそれと似た感じなのかな…と。

 

「ぱったり連絡が取れなくなった人は、もう私の人生には登場して来ない人なんだな」と。

 

最初そのことに気付くまでは「どうしたんだろう?」と心配してみたり、「何で連絡くれないの?」と腹を立ててみたり。

 

でもそんな表面的な感情のことよりも、ある時、ふと「登場しない人だ」と思った瞬間から、合点がいったのです。

 

一つ捨てると、一つ入る

 

そしてその別れがないと新しい人との出会いがない。
つまり、「一つ捨てると一つ入る」ということ。

 

私の人生、この1年だけ見ても、新しい人との出会い、それも、これまでの人生では接点のなかったような人との出会いがあるように思います。

 

なので、あなたの人生でぷっつり途絶えてしまう人がいたとしたら、それは、あなたの人生というお芝居には役割を演じ終えて、もう帰っちゃった人なんです。

劇場から出て、帰っちゃったのでもう呼び戻せない人なのです。

 

なので、そこに目を向け続けるよりも新しい出会いを楽しみに、自分らしく日々あり続けるほうがずっと心穏やかで、ワクワクすると思いませんか?