私が、バブル時代、史上最強のおバカ丸出し女だった頃の話です。
今の自分から見ても、本当にあの頃の女子大生って、アホ丸出しで世間知らず (私のことだよ!) ということを今日は書きます。
今のアラフィフ、アラカンの皆様には、耳に痛いことも多々あることをご承知おきください。
蘭子の高校時代回想録
公立中学から県立高校へと進んだ蘭子。
今でこそ、進学高として有名ですが、30年前は海沿いに建つ、どちらかといえばのんびりした高校でした。
大学進学も極端に浪人が多い為、地元では◯高ボケといわれていました。
湘南の海沿いに建つロケーションだったために、その頃の青春ドラマのロケに使われたりしていました。
(妹も同校出身ですが、同級生に鈴木保奈美さんがいます♡)
日々の恋バナや部活動にばかり夢中で、勉強はそっちのけ、遅刻早退も多くて何度も追試を受けたり、赤点ギリギリで進級したりのスリルに満ちた高校生活でした。
もちろんいわゆる勉強で進学する気はゼロ、得意学科の美術で、一番倍率が低そうな学部を受けることにした蘭子でした。
ポチッと 1クリック! どうぞ、よろしくお願いします。
バブルでアホな女子大生時代
当時から、母は「女は苦労するな、三高のいい男をつかまえて、楽するのが一番」と、ず~と私たち、姉妹に言い聞かせて育てていました。
なので、美大などに行ったら、チョビひげの変な虫(前時代的な発想)がついてしまうと心配して、早々にお見合いを設定してしまうような人でした。
私自体は、その思想をそのまま鵜呑みにしていたわけではありませんが、世の中の流れがバブルへ走っていた時代。
「JJ」や「Cancan」などの雑誌に代表される女子大生ブーム全盛の頃です。
女子なら、付き合う彼は背が高くて、金持ちで、有名大学を出ていて、車を持っていて、テニスができて、スキーに連れていってくれるような、かっこいい男でなくては・・・という(どこまでも高望みな)刷り込みが、相当入っていたわけです。
要は、男はファッションでもあり、そして寄生して楽して(お嬢様として、好物件を物色し、結婚退職。)人生送るのが一番という思想です。
私が、入った学科は美大の中では、おとなしい女子が多い絵画系の学科でした。
奇抜なファッションをするというよりは、地方のお金持ちの女子が多いようなところ、その中でサラリーマン家庭の私は、どちらかといえば貧乏学生でした。
ただ、思想が上記のような刷り込みの上にありますから、貧乏学生ながらも当然付き合う男子に無理難題を言っては困らせていました。
田で食う虫も好きずき
「田で食う虫も好きずき」、「われ鍋にとじ蓋」とは、よく言ったもので、不思議なことにこんな高ビーの勘違い女にも彼ができたのです。
有名大ではありませんが、同じ大学の少し先輩、なんと車も持っていてテニスもスキーもできるという男です。
アッシーでありメッシーであって、しかもスポーツ万能でもある。
後にして思えば、こんな条件で相手を選ぶということ自体がイカレポンチなのですが、バブルな時代だったということで許してくださいませ。
さて、そうはいいつつ、親の方は相変わらず、三高の男を探せ路線。
美大出は好物件ではないと、ごりごりお見合いばかりを勧めてきました。
さすがに私もこのまま実家で大学卒業後、家事手伝いをしていたら、自分の思った道は歩けないと思うに至り、就職活動を始めたのです。
そして、あっさりS社に入社。
しかし、このS社に入ったのが、蘭子の仕事魂に火を点けてしまったのでした。
そして会社の仕事が面白くなりだした入社1年目に、つきあっていた彼と結婚します。
世はバブル時代、ですが入社1年目のOLの給料は、思った以上に薄給でした。
そして大学時代、あんなに羽振りのよかった彼も同じく、アルバイトではなく正社員というものは、こんなにもお給料が少ないとは・・・。
母が言っていた三高の意味を、身を以って思い知ったのでした。
いくら好きだったとはいえ、お互いの生活に対する価値観の違い、家庭の在り方、仕事の忙しさからのすれ違いが重なってくると、思ってもいない言葉で相手を傷つけ、そして自分も追い込まれていったのです。
結局のところ、親から刷り込まれた思想がある限り、自分の足元を見ず、相手にも理想ばかりを追い求めてしまうものです。
その後、シングルになった蘭子のマキシマリストぶりはこちら→真のミニマリストを目指す50代主婦、蘭子です。
あの頃、もっと自分が大人であったなら、きっと離婚もしなかったでしょうし・・・でも、そうだったら、今このようにブログを書いてはいなかったでしょう。
余談 〜復縁したら玉の輿?
私の第一次結婚から、ほぼ30年ほどが経ちます。
ひょんなことから、元夫の現職を聞きました。
大手上場会社、3社が出資する会社の社長になっているそうです。
そして、未だに独身のまま。
あのまま、結婚を続けていたら、玉の輿だったのでしょうか?
それとも、彼は「バブルなアホ女」に目が覚めて、縁を切ったから社長になれたのかもしれません。
そして私同様、バブル時代に早々に結婚して30手前に離婚をしている高校時代の友人二人。
一人はキャリアウーマンとして、もう一人は第二の人生のパートナーと幸せに暮らしています。
「あの頃、別れて正解だった」とハッキリ言えるこの友人たち。
今会うと、一番しっかりと「在りたい自分」を持って輝いている人たちに思えます。
あの頃は、みんな、なにかのネジが外れていたんじゃないでしょうかね。
そして、結婚をリセットすることで、ネジを巻きなおしたのかもしれません。
最近「夫と離婚したいと思っているけれど、でもやっぱりシングルになれない」と言っている人たちを多く見ます。
私自身、離婚を奨励するわけではないのですが、「まわりがそうだから、世間体が」という周囲に流された生き方をしている限り、不平や不満からは逃れられません。
どこかで自分のネジが外れていないか?巻き直す必要がないか?心に問いかけることが必要です。
そして「自分の価値観に基づき、主体的に決断を下して生活しているかどうか」で、人生の輝き方が違ってくることは確かだとお伝えしておきましょう。