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若い頃の蘭子は、真っ向勝負の女でした。

融通が利かない、白黒はっきりさせたがり、グレーがない、長いものに巻かれない性格でありました。

よくいえば、そういう事が出来ない正直な性格、悪く言えば融通がきかないってことでしょう。

 

間違ったことは言っていない、ですが、こういう性格、はっきり言って正しいのですが正しすぎて嫌われる。

世の中、白黒だけでなくグレーの部分もありますし、長いものに巻かれる時も時には必要なのです。

 

世の中の正しいことと正しくないこと、これって誰が決めているのでしょう?

世論 、常識・・・それもあるでしょうが。

 

しかし、その拘束力はどれくらいあるのでしょうか。

正しくないことをしたとして、罰を受けたり法的な措置を受けたりするでしょうか。

 

一昔前なら、宿題を忘れたり居眠りをして廊下に立たされる。なんてこともありましたが。

今、そんなことをしたら学校が責められます。

 

例えば、

・会社や学校には遅刻しない

・良好な人間関係をつくるには人と仲良くすべき

・職場や家庭内、いつも整理整頓して 清潔に保つべき

・食べ物を粗末にしてはいけない

・目上の人の言うことを聴くべき

・親を大事にするべき

・子どもには大人になって困らないような躾をすべき・・・ などなど~言い出したら、キリがありませんが。

 

「正論をふりかざす嫌な女」

あぁ、これ、ちょっと前の私です。

今あげたことを、一般的な(私的な)常識とするならこれに沿わない人は「却下!」って、いつも叫んでいました。

 

「この考えが正しい」という正論を盾にして、その考えから外れる人は

「即、却下!」

 

正論は強く、正論には反論できず、正論は人を支配し傷つける

 

正論を言う時、人は相手の目線より上から物を話します。

望んでもいない相手に、正論を振りかざすのは、余計なお世話以外の何者でもありません。

言葉は何を言われるかより、誰に言われるかの方がより相手の心に刺ささります。

 

若い頃の私は、世の中の常識と言われていること、正しいと思われること、いわゆる正論をそれをバカ正直にいう女。

そういうタイプだったと思います。 でも、それだけに敵も作りやすかった。

 

上司からしたら可愛くなかったタイプだと思います。

処世術も下手なタイプに分類されていたと思います(なので、日本の会社では出世が遅かったように感じます。)

 

いちいち、小さなことで目くじらを立てて怒っていた私。

 

怒ったりすれば、当然、相手がいることなので相手の反発を受けたり、逆に自分が足りないことを指摘されたり、そこでまた嫌な気持ちになるのに。

 

実は、非難をされる人だけでなく、非難していた自分も苦しかったのですが。

「これが正しいことだから」を振りかざして、非難する人間も、実は、得なことは何もないのです。

 

「それくらいできないと、この先、あなたが困るわよ」と本気で心配して言っているようにみえますが、実は、それを発信しているものが相手のためというよりは、自分のため、自分のアイデンティティを守るため・・・・だったりします。

一時的に、相手を支配したことによって、鼻息荒く、スッとした気持ちになることがあっても・・・結局は、それほど満たされるものではありません。

 

正論ばかりでは、嫌われる

 

正論ばかりでは、嫌われる人って、どんな人なのでしょうか?

 

自分のことを振り返ってみると(悲しいことに)

・人と共感できない人

・相手の立場を考えずにずけずけとものを言う人

・周囲に反感を受けていることにも気づかない、空気が読めない人

・話の通じにくい事務的な堅物

というところでしょうか。

 

論理的思考ができるのは良いですが、その振りかざし方が一方的ということなのですね。

 

正論すぎて嫌われる…。

優等生っぽいのかな?それとも、正論で他人を攻撃しているように映るのでしょう。

 

正論を振りかざす私にしてみれば、問題に対して「ごもっとも!」な意見を言っているつもりなのですが、あとからよく考えてみると、正論ではなく、実は、自分に都合のよい考え方であったり、自分中心であったり、人の心の機微を察知しない鈍感さであったり…したのだったと思います(猛省)

 

だけど、正論を言っている時って、相手に指摘されると反論し、泣いたり「なんでわかってくれないの」とわめいておりました。

なので、疲れるんです。自分も、そして周りの人も、正論なだけに。

 

この年になって振り返ってみると、言葉って、話している言葉以上に、その人の「思い」が相手に伝わって仕事をするということを痛感します。

 

いくら正しいことを言っていても、その言葉に相手に対する裁き心などが入っていると、相手は拒否反応を起こすのです。
正論を語るとき、内心で相手を裁いたり、馬鹿にしたり、自分中心の気持ちがなかったか?

心の底から相手や会社が良くなったらいいという思いで語っていれば、その様なことはなかったのでは?と思います。

 

正論をいう時に必要なコミュニケーション能力

 

「正論だけを押し通しても、自分の意見は通らない。」この年になって、やっと気づくことがあります。

 

いろんな関係の中で、無理やり正論を押し付けてはウザがられる(今でもありますが)。

ですが、自分が逆の立場に身を置いたときや、正論を振りかざされた時に、「正論をふりかざしても、状況は悪くなるのだ。」ということに気付きはじめました。

 

「この人の言っていることは正しいけど、何か従いたくない」と思う瞬間。

こういう直感を感じたことはありませんか?

 

正しい、というよりは自分の意見をいう時に必要なことって、何でしょうか?

まずは先に相手との人間関係を、構築しておいたほうがよりスムーズにことは進みます。

 

「じゃあ具体的にどうすればいいの?」という話になりますが、方法はいたってシンプルです。

 

相手の言ってることが正しいかどうかということは、ひとまず置き、相手の感情に気持ちを向けるということ。

「この人は、今どういう気持ちでどうして欲しいのか」と・・・。

 

正論を振りかざすたいていの場合は、「自分が正しい」ということを相手に証明したいだけだったりします。

「私のほうが、あなたより正しいの。だから考えを変えてあげよう」とか、

「私のほうが、あなたより優位なのよ」とか、言っている本人がそう思うのですから、相手だって実はそう思っているのです。

 

たとえ、どんなに指摘をする人から見たら大間違いだったとしても、「(相手である人)私は、間違っていない」と思っています。

 

もし、相手との人間関係を、破綻させたくないのであれば、まずは相手に意見を述べてもらい最後まで話を聞きましょう。

「この人は今どんな気持ちなのだろう」と、相手の話している間に口をはさまず、まずは聞く。

 

相手の話の途中で、逆らったり正論を振りかざそうものなら相手との壁は高くなるばかりです。

例え、10000%自分が正しいと思っていたとしても、大したことでないことならば相手に譲ってあげる。

 

「ああ、この人は今、自分のプライドを守りたいんだな」

「自分を軽んじないで欲しい」という相手の心の声が見え始めてきたら、もう一度相手の話の内容に耳を傾けてみることができると思います。

 

話を聞くだけでなく、相手の心の中が見えてくると、その中に共感できるところに気が付いたりしませんか?

共感できるところがあったら、まずは共感する・・・相槌でもかまいません。

 

そうすると自分と、相手の人の間にあった壁が少し崩れてくると思います。

 

いかがでしょうか。

 

相手を変えるには、まず自分を変える

 

正論を唱えたいのであれば、相手の心があなたに傾いてからでも遅くはないのです。

要は、「自分が一番正しい」という思いを捨て、人の意見や考えを「聞くだけ」「理解しようとするだけ」に徹してみると、次の展開がやってきます。

 

仕事の顔の裏で、毎日介護をしていたり、子供が反抗期で手を焼いていたり、主婦だったら夫の浮気で辛い思いをしていたり、若い女性だったら彼氏からプロポーズされなくてモンモンとしていたり、親が支配的で苦しんでいたり、と、人がいればその数だけドラマがあります。

今まで優等生、正論を振りかざす派は、このドラマが想像できなかったりします。

 

これは、あなたの正しい意見を捨てなさい、変えなさいということではなく、自分の相手に対する態度(思い)を変えるということです。

相手の心が開けば、自分の意見はすんなり認めてもらえるでしょう。

 

これって、友人くらいならできるのですが、家族となるとなかなかね。

 

時に息子となると、相変わらず「正論を振りかざす嫌な女」が、でてきてしまうことも。

 

みなさんの心の中に「正論を振りかざす嫌な女」は、いませんか?

自分の中の「嫌な女」にすでに気が付いていれば、脱するのは早いと思いますよ。